公開日本国市民憲法(Open Constitution for Citizen of Japan)
日本国憲法を市民が作るための叩き台を作りました。 作ったと言っても最初から作ったわけではありません。現在の日本国憲法を基に、 必要と思われる部分を追加し、不要と思われる部分を削除しました。したがって、 正確には日本国憲法の改正案となります。 この叩き台をネタにして日本国憲法について議論し、 将来の日本のあり方を模索できればと思います。
良く、「憲法は、国民が権力を行使する国の為政者を縛るものであって、 為政者が国民を縛るものではない」という、いわゆる立憲主義が叫ばれますが、 では憲法自体は誰が作るのでしょうか? 国民に選ばれた国会議員か、多数派を占める政党か、 それとも憲法学者や学識経験者などの有識者か? 答はいずれでもなく、我々自身です。「現憲法はアメリカの押し付け憲法であり、 日本自らが自主憲法を作らなければならない」と言う、 いわゆる「改憲派」と呼ばれる人達がいますが、 この会は「改憲派」ではありません。現憲法は確かに、 当時の日本政府が提案したものを却下し、 占領軍の一部の人達で早急に作られたものですが、出来上がったものは、 フランス革命以降の民主主義の精神を引き継いで、 更に未来に向って踏み出そうとした、かなりの佳作です。 競争の激しい市場世界では、競争相手の製品を打ちのめすために、 不安(Fear)をあおったり、不確実性(Uncertainty)を強調したり、 不信感(Doubt)を抱かせたりする、いわゆる FUD が良く行なわれますが、 改憲派が良く言う「今の憲法はハイスクールを出たばかりの連中が書いたものだ」 などというのは正に FUD に他なりません。
第二次大戦後の世界は、二度と戦争をしないという誓いを刻みました。 世界の全ての国が加盟して平和秩序を維持するために国際連合が作られ、 欧州では欧州連合(EU)ができ、 そして日本では武力の完全放棄を謳った平和憲法が作られたのです。 憲法の最大の目的は戦争をしないことを国家に確約させることです。しかし、 一般に今の代議制民主主義ではこれを 100 % 実現できることは保証できません。 むしろ、極めて危うい制度だと言えます。それは、第一次大戦以来変っていません。
一方、「自由」や「公共」という言葉は、それを発する人達によって、 これ程異なる意味になることはありません。 良く「ヘイトスピーチは言論の自由を踏まえて、 これを規制することに慎重にならないといけない」という人達がいますが、 自己に対する謙虚さや、 相手への敬意のない「自由」というのは「暴力」でしかありません。また、 「視聴者の希望する公正・中立な番組を提供することが公共放送である」として、 その結果、遊興・娯楽番組に終始することで良いのかという素朴な疑問もあります。
公開日本国市民憲法試案では、 戦争放棄を確実にするための手立て、 「自由」や「公共」の定義とその社会的意義、 国民本位の政策の実践に向うための方策などについて具体的に提案をしています。 これらは、そもそも憲法に盛り込むべきことではないとか、 これでは不十分であるとか、条文が矛盾しているなど、様々な御意見があるでしょう。 公開市民憲法の会ではこれらの意見を全て汲み取るため、 様々な発言・参加の場を用意しています。詳しくは、参加の方法を御覧ください。
それでは。皆様の御参加を心待ちにしております。
公開市民憲法の会
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